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創 業 |
文化年間以降、屋号玉屋にて岡山市表町において、御用商人として衿装束の販売に従事 |
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明治中期 |
主な営業品目を表具・襖材料とする |
昭和25年 |
株式会社に組織変更 |
昭和35年 |
本社店舗ビル完成(岡山市表町1-10-10)内装材(壁紙)の販売 |
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昭和43年 |
工場・倉庫を岡山県木工センター内に新設 |
昭和44年 |
岡山税務署より優良申告法人表敬状を受ける |
昭和47年 |
本社第二ビル(岡山市表町1-11-10)完成 |
昭和51年 |
福山営業所を新設 |
昭和55年 |
本社ビル増築(岡山市表町1-11-10)
株式会社たまやに名義変更
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昭和57年 |
福山営業所の社屋竣工
(広島県福山市南蔵王町6-244-2)
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昭和60年 |
岡山本社を岡山市白石西新町10-114に新築移転 |
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平成元年 |
岡山商工会議所より感謝状を受ける |
平成5年 |
旧本社ビルを改築し、MAISONを開設 |
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「ぼっこう横町」(出版・夕刊新聞社/編集・日本文教出版株式会社)の以下のページに、当社についての記事が掲載されています。
P.97の“明治の長者街”の一部抜粋。 …… その次が玉屋の斉藤甚三で、今もやってる、表具の材料店だ。殿様御用お城出入の表具師で、材料を与えて職人にやらしてた、表具屋の総監督だった。明治になると、扶持給料が貰えなくなったので、材料専門店になったわけだ。もともとは職人街下之町の住人である。あそこの大火事明治二十年十二月二十六日、二十一戸焼失で焼け出され、そのとき、中之町へ移って来て、店を続けとると、また大火事にあって、丸焼けになった。よくよく、火事に縁があるのだろうが、“焼け肥満”の口だ。……
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P.122の“商魂逞しき人々”の一部抜粋。
…… 御表具師・玉屋甚三―、本陣の南また隣にあった。昔は、岡山に表具屋は四軒しか許されなかった。その頭が玉屋で、「米二十俵」を給せられた、御用職人だった。これまた、お納戸伺候が日課の、商内人である。むろん、お国替え組だ。いま中ノ町にある玉屋は、その相続人なので、下之町の大火事までは、代々、下之町住人だ。姓は斉藤名は甚三、やはり御仕立師の岡本と同じように、自分の店では、仕事はせなんだ。職人を京都からつれて来て、裏筋に住まわせ、表具の方は、そこが仕事場で、店では、錦の裂れや、唐紙なんか売っていた。従って、京都との交渉が、始終であったため、この玉屋には、風流人が出るので、知られておった。茶人もおるが、殿様のお相手を勤めていた、能の功い人もおる。……
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